弁護人の冒頭陳述


2023(令和5)年7月26日

弁護人冒頭陳述

はじめに
弁護人冒頭陳述を始めるにあたって、弾劾裁判に関して最初に確認しておくべきことが3点あります。
第1に、弾劾裁判所は国会の機関ではありません。裁判官訴追委員会の冒頭陳述において、訴追委員は弾劾裁判所を国会の一機関として位置づけられました。しかし、これは重大な誤りであることを指摘しなければなりません。確かに弾劾裁判所の設置は国会の権限です(憲法64条)。そして、裁判員も訴追委員も国会議員から構成されます。しかし、そのことは弾劾裁判所が国会の一機関であることを意味しません。弾劾裁判所は、国会によって設置されるとしても、あくまでも国会から独立した裁判所なのであり、主権者国民の意思を反映するべき国会とは、その役割が全く異なります。これは、憲法の通説的立場といえるものです。

第2に、弾劾裁判所の裁判員は、国会議員の立場や訴追者の立場ではなく裁判官と同様の立場で判断することが求められていることを確認します。弾劾裁判所はその名の通り裁判所なのであり、手続きにおいて刑事訴訟法が準用される(裁判官弾劾法30条)ことからも、弾劾裁判所の裁判員には司法裁判所の裁判官と同様に職権行使の独立が求められます。憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定しますが、この職権行使の独立は、弾劾裁判所の裁判員にも等しく求められるものです(裁判官弾劾法19条)。
したがって裁判員は、あくまでも裁判官弾劾法にしたがって、訴追が適切であったか、法が定める罷免事由が認められるか、その立証に訴追委員会が成功しているか、のみを判断しなければなりません。法を離れて、国民感情や民意に従って判断をすることは、一種の人民裁判を認めることとなり、近代立憲主義国家においてはあってはならないことであることを確認します。
また、弾劾裁判手続において刑事訴訟法が準用されるとしても、弾劾裁判は刑事裁判ではありません。もちろん、裁判員は検察官でもなければ、訴追委員でもありません。仮に訴追委員と政治的信条を同じくすることがあったとしても、裁判員はあくまでも一人ひとりが独立して裁判することが求められています。戦前の刑事裁判のように壇上に裁判官と検察官が並んで座り、被告人を見下ろして糾問するような仕組みではないのです。裁判員は自らを訴追委員の立場と混同することなく、あくまでも中立的な立場で判断する職責があることを確認しておきます。
第3に、弾劾裁判は憲法で保障される裁判官の身分保障の例外であることを確認しておきます。裁判官の身分が強く保障されているのは、裁判官がときに政治家にとって都合の悪い判決や国民の多数の考えとは異なる判決を出すことによって、個人の権利や憲法秩序を守ることができるようにするためです。この裁判官の身分保障によって、少数者の人権が保障され、権力分立が確保され、国家組織のガバナンスが健全なものとなるのです。その意味で裁判官の身分保障は、単に裁判官個人の問題を超えて、国家としての健全な組織運営に不可欠の要請です。
その裁判官の身分保障の例外が弾劾裁判による罷免なのですから、その判断は特に慎重でなければなりません。しかもその効果は単に裁判官を罷免されるだけでなく、法曹資格の剥奪にまで及びます。そうした重大な効果を招くため、裁判官弾劾法は、罷免事由を厳しく限定しました。将来の裁判官の職権行使や表現の自由などの市民的自由に萎縮的効果を与えることがないように、弾劾裁判制度の趣旨を十分に理解した上で、憲法と法律の趣旨に則った適正な手続と適切な判断を求めるものです。

1  岡口裁判官について
岡口さんは、約30年間、主に民事事件を担当する裁判官として、愚直に事件を担当してきました。その仕事ぶりは、まじめで、新潟水俣裁判など、不当な立場に置かれている人たちにも光があたる、そんな裁判を心がけてきました。
そんな岡口さんですが、通常の裁判官としての仕事以外のところでも、力を入れてきたことが2つあります。
1つは、「要件事実」という裁判の技術を、若手の法律家に分かりやすく伝えること、
もう1つは、司法を身近に感じてもらうために、広く情報発信することです。
しかし、今回、後者の点で、配慮の足りない発信をしてしまい、さらにそのことを説明しようとして不適切な対応をしてしまい、刑事事件被害者のご遺族を傷つけてしまいました。
今は、岡口さん自身、自分の表現に適切でなかったものが多々あったと痛感しています。
そして、ご遺族に大変申し訳ないことをしてしまった、謝罪をしたい、と思っています。

2 言動を考える際の3つの視点
岡口さんが なぜ、このような不適切な言動を繰り返してしまったのか。
そこに悪意はあったのでしょうか。
岡口さんの一連の言動を考える上で、意識して頂きたいことが3つあります。
それは、
①最高裁判所と岡口さんとの関係性
②SNSでのコミュニケーションの難しさ
③岡口さんのコミュニケーション上の特性
です。
この3つを意識することで、なぜ、岡口さんがあのような言動をしてしまったのかということ、そして、岡口さんに悪意があったわけではないということを理解して頂けると思います。

では、今回の事件のあらましについて、お話しします。
まず、なぜ、ツイッターをはじめたのか、ということからです。
岡口さんは、1999年頃から、法律関係者の人たちの便宜のために、ホームページを作成し、法曹向けのポータルサイトを運用していました。
しかし、そこに岡口さんを脅迫する書込みがされ、刑事事件になってしまいました。そのことがきっかけで、ホームページを閉鎖しました。
その後、岡口さんは、フェイスブックとツイッターを始めました。
岡口さんは、これらの場、特にTwitterは、砕けた場という認識で、このような場所で法律問題を分かりやすく伝えるためには、上から目線の発信をするのではなく、親しみを持ってもらう仕掛けが必要だと感じていました。
その仕掛けとして、下ネタ等ふざけた投稿もしながら、まじめな話もつぶやくということをしていました。
岡口さんは、幼いころから、キリスト教の教えを受けていて、人はみな平等であり、肩書など大した意味はないと思っていました。
そして、裁判というのも、特別な仕事ではあるけども、関わる人間自体は特別な人がやっているわけではない。という意識を強く持っていました。
SNSの場でも、職業を記載していないとはいえ、裁判官である自分が、砕けた発信をすることで、投稿を読む人もそのような認識を持ってくれるという思いもありました。
岡口さんは、そのような意識で、日々、堅いものから柔らかいものまで、積極的に情報発信をしていました。

一方で、岡口さんは、自分がそのように情報発信していることを最高裁判所が快く思っていない、煙たがっていると思っていました。これが意識して頂きたい1つめの点です。
実際、2014年以降、たびたび、東京高裁事務局長から、投稿内容について追及されるようになり、2016年、上半身裸の、縄で縛られた写真を投稿したことなどで、東京高裁長官から厳重注意処分を受けました。
しかし、岡口さんとしては、裁判官が上半身裸の写真を投稿して何が悪いのか理解できず、様々な圧力をかけてくる最高裁について、
まるで裸の王様のように、見せかけの権威を保とうとしているように見えていました。
これからも色々と圧力をかけてくるだろうけども、間違っているのは最高裁の方だ、自分は最高裁の圧力に負けないようにしたい、そう思っていました。
裁判所の対応は、岡口さんにそのように思わせるのに、十分なものでした。
しかし、この認識が強すぎた余り、今回、岡口さんの言動を誤った方向に導いてしまいました。

もう一つ、岡口さんの言動を読み解くうえで、理解しなければいけないのは、SNSでのコミュニケーションの難しさです。
SNSでは、発言する人としては、例えば、Aさんに向けて発言したつもりでも、Bさん、Cさんも自分たちに向けられた言葉のように受け止められることがあります。
また、これまでのやりとりを踏まえた投稿であっても、新しい投稿だけを目にすると、趣旨が違って読めてしまうこともあります。
相手の顔が見えず文字だけですので、真意がわかりにくいという点もあります。
今回問題となっている投稿でも、岡口さんの真意とは違う受け止めをされてしまっているものが複数あります。

そして、最後に、岡口さんのコミュニケーション上の特性です。
この裁判をきっかけに精神科を受診したところ、岡口さんにはコミュニケーション上の特性があることが分かりました。
岡口さんを診察した医師である大学教授が、この法廷で話をしますが、岡口さんには、自閉症スペクトラム障害(ASDとも言います)的な特徴とされる認知機能の障害や、注意・欠陥多動障害(ADHDとも言います)的な特徴があります。
その特徴故に、コミュニケーションの前提となる認識にズレが生じてしまい、今回、しなくても良い反論や説明をしようとしてしまう等、不適切な言動をしてしまったのです。
では、具体的な投稿についてみていきたいと思います。

3 刑事事件投稿について
2017年12月13日のことです。
岡口さんは、この日も、仕事を終えて、ニュースなどを投稿していました。
そのうちの一つに、今回の刑事事件投稿がありました。
岡口さんは、裁判所のWEBサイトを見てこの判決を知り、刑法上の論点があったので、フェイスブックに投稿し、Twitterにも投稿しました。
フェイスブックでは、法律家が見るだろうと考えていたので、論点だけを明示しましたが、
Twitterでは、法律家以外の人も見るかもしれないと考え、論点の記載ではなく、事案が分かるように控訴審判決の「本件事案と控訴の趣意の要旨」から概要を抜き出しました。
そして、酷い事件だと思ったので、岡口さん自身の、「無惨にも」という言葉を付け加えて、
「首をしめられて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男 そんな男に、無惨にも殺されてしまった17歳の女性」という文章を添えて、裁判所ウエブサイトのアドレスを投稿しました(訴追事由第1の1)。

翌日以降も、硬軟おりまぜた投稿をしていたところ、
12月16日、@maで始まるアカウントから、
「被害者の母親です。なぜ 私達に断りもなく 判決文をこのような形であげているのですか?法律にふれない行為かもしれませんが、非常に不愉快です。」
というメッセージを受け取りました。
岡口さんは、このアカウントが本当にご遺族のものかどうかはわかりませんでしたが、
数日前に自分がした投稿に関するクレームだということは分かりました。岡口さんは、それまでもクレームがあった時にはほぼ自動的に投稿したものを削除していたので、本件刑事事件投稿も削除しました。
その後、12月27日、東京高裁事務局長から事情聴取を受けました。
岡口さんとしては、
匿名処理された裁判例を、公表されている裁判所のURLをつけて投稿することに問題があるとは、まったく認識していませんでした。
しかし、事務局長から聴取されたことで、高裁がこれを口実に、自分の表現活動を止めにきていると、感じました。
すると、案の定、「裁判官が不適切なツイッター」などという見出しで、岡口さんの実名がでた報道がされました(甲1-20など)。
岡口さんは、これでは、報道を見た人があたかも自分がルールに反する投稿をしたと思われてしまうと思いました。
そこで、自分の投稿に問題があったわけではないということを伝えたいと考え、12月30日、
「今回問題になったツイートは、フェイスブックでもつぶやいていましたが、こちらは、削除要請がなかったのでそのままになってます。なお、自分がリンクを貼った判決は、仮名処理等がなされており、個人情報等は一切現われていないものでした。」
とツイートしました。これが、訴追事由第1の2です。

その後も断続的に東京高裁から事情聴取され(1月25日、2月8日、3月7日(甲24))、2018年3月に厳重注意を受けました。
そして、そのことを、東京高裁が公表し、マスコミが報道しました。
岡口さんとしては、悪いのは、本来の基準では載せないことになっていた判決文を載せた東京高裁ではないか。東京高裁は高裁自身を守るために自分をスケープゴートにしようとしている。それなのに、本来高裁を批判しなければならないマスコミが、高裁に乗せられてしまっている。そう考えていました。
そんな中、岡口さんが内規に反して判決文を掲載したかのような内容のネットニュースが出ました。
そして、そのニュースについて、ある弁護士が、「内規に反して判決文を掲載ってあっているのか??」とツイートしているのを発見しました。
岡口さんは、報道が不正確であることを柔らかく伝えようと、その弁護士のツイートに返信しました。
それが、今回訴追事由の第1の3になっている、「内規に反して判決文を掲載したのは、俺ではなく、東京高裁(顔マーク)」という返信です。

その後も、岡口さんは、日々色々なツイートをしていましたが、その中の1つに、5月17日にした犬事件についての投稿があります。このことは後でまとめて詳しくお話しします。
7月24日、東京高裁が、犬事件投稿について、最高裁判所に懲戒申立をしました。
岡口さんは、いよいよ最高裁が、自分をつぶしにきていると感じました。
同時に、分限裁判という手続きは、表現の自由や裁判官の独立の関係で、非常に大きな問題を含んでいると考えていました。
そこで、学者や法律家が、この件についてどのように考えたのかを記録していった方が良いと考え、それらをまとめるブログを作りました。
そして、学者や法律家がした、この件に関係がありそうな投稿を見つけたら、片っ端からそのブログに載せる、ということをするようになりました。

そんな中、10月5日、ある弁護士の投稿を見つけたので、その投稿内容をブログに、そのまま転載しました。
それが、訴追事由第1の5の「遺族には申し訳ないが、これでは単に因縁をつけているだけですよ」という投稿です。
この弁護士の投稿の「これでは」が具体的に何を刺した投稿だったのか、岡口さんははっきりとは覚えていません。
この点について、皆さんの中には、刑事事件被害者のご遺族が岡口さんを非難する活動をしていることについての投稿だと思われた方もいるかもしれません。
しかし、弁護人は、そのころのご遺族の投稿を踏まえると、そのような投稿ではないと考えています。
これは、選挙に立候補していた亀石倫子弁護士について、ご遺族が、「亀石倫子という弁護士は、今回分限裁判にかけられた岡口基一の件でもとにかく悲しいなどとツイートしていた。・・・こんな人が政治家になるなんてまっぴらごめんだ」等と投稿したことについて、
ある弁護士が、「遺族には申し訳ないが、これでは単に因縁をつけているだけですよ」と投稿し、その弁護士の投稿を、岡口さんがブログに転載した、というものです。
この投稿は、(ご遺族が岡口さんを相手取って起こした)民事訴訟の第一審判決でも、不法行為とはされませんでした。この裁判でも、そのころのご遺族の投稿内容や民事訴訟の判決を証拠提出しますので、ご確認頂きたいと思います。

10月17日、最高裁が犬事件投稿について岡口さんを戒告処分にし、分限裁判は、一応の結論が出ました。
裁判官にとっては、これだけでも大きな事柄です。しかし、事態はそれだけでは収まりませんでした。
さらに、岡口さんの身分をゆるがす動きがみられるようになりました。訴追委員会の訴追に向けた動きです。
2019年3月4日、岡口さんは、訴追委員会から事情聴取を受けました。
しばらくして(3月19日)、訴追委員会がご遺族から事情聴取をしたことが報道されました。
岡口さんは、分限裁判に続いて、訴追委員会まで動き出してきていることに、焦ってきました。
それまで、ご遺族以外の人が自分の訴追申立てをしていることは知っていましたが、ご遺族の方が訴追に向けて動いているという情報は把握していませんでした。もしかしたら、自分の身分をはく奪しようという勢力がご遺族を利用しようとしているのではないか。そう考えるようになりました。
そんな中、この訴追委員会の動きについて、ある弁護士が、フェイスブックに、
「国家権力が暴走する社会,それは,多くの人々の基本的人権が侵され,最悪の場合には,多数の人々の尊い命さえ奪われることにつながる,危険なものです。『被害者感情』を権力暴走の隠れ蓑に利用することは,絶対にあってはなりません。」という投稿をしました(2019年(H31)3月20日)。
岡口さんは、その投稿を読んで、ブログに、その記事を紹介するとともに、自分が抱いていた疑念を書きました。
それが、訴追事由第1の7⑴になっている、「遺族を担ぎ出した訴追委員会」との見出しの、
「遺族ではない人々によって、1年も前に訴追申立てがされ、訴追委員会が、その審理のために遺族自身の呼出しを決めたという経緯が重要です。遺族の意思とは無関係に1年以上も「遺族感情」が用いられ, その審理のために、平穏であるべき遺族自身の審問をしたという経緯になっているからです。『被害者感情』を権力暴走の隠れ蓑に利用することは,絶対にあってはなりません。」という投稿(2019年3月21日)です。

岡口さんは、本来は、基準に反して判決文を掲載した東京高裁がいけないのに、なぜこんな事態になったのだろうという思いを持っていました。
そんな中で、2019年11月12日、山中理司という弁護士が、「下級裁判所判例集に掲載する裁判例の選別基準等」という記事をブログにアップしました。
岡口さんは、その記事を見つけ、裁判所がインターネット上に掲載する選別基準がはっきりとわかりました。そして、自分の支援者にそのことを知らせようと考え、友達限定のつもりで、とっさにフェイスブックに、裁判所が判決書をネットにアップする選別基準、という投稿をしました。
これが訴追事由第1の7⑵の投稿です。
岡口さんは、悪いのは東京高裁なのに、東京高裁から遺族の方は考えを変えられてしまっているという思いから、この投稿の中で、「洗脳」という言葉を使ってしまいました。
しかも、フェイスブックの設定を誤っていて、公開設定になってしまっていました。

岡口さんは、この日、たまたま山中弁護士のブログ記事を見つけて、この投稿をしました。
この日が娘さんの命日であるということは、まったく知りませんでした。
岡口さんとしては洗脳という言葉に、ネガティブな意味を持たせていたつもりはなかったのですが、その後、公開設定になっていることや、言葉が良くないということを知人から指摘され、すぐに謝罪した方が良いと考えました。
そこで、2019年11月15日、フェイスブックに、「遺族のみなさまへ」という記事を投稿しました。これが訴追事由第1の7⑶です。
また、岡口さんとしては、自分を応援してくれている人たちがいるのに、状況がどんどん悪くなってしまっているという思いから、応援してくれている人たちに何か伝えなければと考え、2019年11月18日、ブログに、「洗脳発言報道について」という投稿をしました。これが訴追事由第1の7⑷です。
しかし、岡口さんのコミュニケーション上の特徴故に、不適切な表現となってしまいました。そのため、説明しようとすればするほど、事態は悪くなるばかりでした。

ところで、訴追委員会は、岡口さんが、記者会見や雑誌の取材の際に、事実でないことを述べている等と主張していますが、そのようなことはありません。いずれについても、岡口さんは、自分の認識どおりに発言しています。事実でないと認識しながらあえて虚偽の事実を発言したということはありません。
この点については、刑事事件被害者ご遺族のツイートやブログへの書き込みの内容を証拠請求していますので、これらを見て頂ければ、岡口さんがそのように認識したことをお分かりいただけると思います。
以上が、刑事事件投稿についてのあらましです。

4 犬事件投稿について
次に、犬事件の投稿について、お話しします。
2018年5月17日ころ、岡口さんは、ネット上で、公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、もとの飼い主が名乗り出て、「返還を」と訴えられた。動物愛護法には遺棄罪があり、飼い主にペットの健康や安全を確保する責任があるとされているが、裁判所はもとの飼い主の訴えを支持した。「大岡裁き」――といかなかったのはなぜか、などと書かれた記事を見つけました。
岡口さんは、
法律に興味を持つ人には面白い記事だろうと考え、この記事をツイッターで紹介することにしました。
岡口さんとしては、原告・被告どちらの主張が正しいなどという考えは特にありませんでした。ただ、返せと言った方が負けたんじゃないか、と思わせつつ、クリックしたら逆だったという方がインパクトがあると考えて、
公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3カ月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、「返してください」 え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?3カ月も放置しておきながら・・・裁判の結果は・・
という文章を添えて記事のURLをツイートしました。これが訴追事由第2の1です。
すると、この事件の原告から高裁に苦情があったようで、岡口さんは、東京高裁長官から、事情聴取を受けました。
岡口さんとしては、どちらかに肩入れするわけではなく、単に匿名の記事を紹介しただけという認識でしたので、何か悪いことをしたという意識はありませんでした。
ですが、東京高裁長官は、ひどい剣幕で、Twitterをやめるよう言ってきました。
岡口さんは、高裁長官と話しても、犬事件に関する自分の投稿の何が問題なのか、理解できませんでした。しかし、7月になって、高裁長官が岡口さんを分限裁判にかける申立をしました。
そんな中、岡口さんは、5チャンネルの掲示板に、
東京高裁「うちの白ブリーフ裁判官が犬を捨てた飼い主を冷やかすようなツイートをして飼い主を傷つけたので最高裁に処分してもらいます」というスレッドがあるのを発見しました。
岡口さんは、その書込みの詳細まではきちんと読みませんでしたが、
自分のことや東京高裁を茶化すような題名が気に入り、このスレッドを自身のブログで紹介しました。これが訴追事由第2の2です。
この時、岡口さんとしては、犬事件の当事者の人を茶化したりするつもりは全くありませんでした。あくまで、今回の東京高裁の分限申立というものが、世間から、自分や東京高裁が茶化されるようなものだという思いから紹介しただけでした。

しかし、最高裁判所は、10月17日、岡口さんに対して、戒告処分をしました。
岡口さんは、犬事件のツイートは消していましたが、最高裁の決定は正確な情報の元で、広く批判の対象となるべきと考えました。
そこで、自身のブログに、既に消していた犬事件のツイート内容と同じ内容のフェイスブックの投稿のリンクを貼りました。これが訴追事由第2の3です。
これが犬事件のあらましです。

5 事実関係についての4つの争点
このように、犬事件投稿については、事実関係に関する争いは、特にありません。
刑事事件投稿については、事実関係について特に注目して頂きたい点が4点あります。
1つめが、「内規に反して判決文を掲載したのは、俺ではなく、東京高裁(顔マーク)」という投稿は、どういう経緯でなされたのか。
2つめが、「因縁」投稿はどのような経緯でなされたのか。「これでは」とは何を指すのか、という点。
3つめが、(刑事事件被害者の)命日と分かって、「洗脳」投稿をしたのか。という点。
4つめが、岡口さんが、記者会見や雑誌の取材で、意図的に事実に反する話をしたのか。
という点です。

 弁護人は、
1つめ:内規に反して判決文を掲載したのは・・・との投稿は、誤った報道の可能性を指摘した弁護士のツイートへの返信として行ったものだった
2つめ:因縁投稿は、岡口さんに同情的な亀石倫子弁護士に政治家になって欲しくないという刑事事件被害者のご遺族の投稿に関して、ある弁護士がした投稿を転載したものだった
3つめ:「洗脳」と投稿した際、岡口さんはその日が 命日とは知らなかった。
4つめ:岡口さんの発言は、ご遺族のツイート等を受けて認識した事実を話したので、意図的に事実に反する話をしたのではない。
と考えています。
裁判員の皆さんには、まず、これら4点について、弁護側が提出する証拠や岡口さんの話を踏まえても、「そうではないことが間違いない」というレベルまで、訴追委員会が証拠によって証明できたのか、ということを判断して頂くことになります。
訴追委員会がそこまでの証明ができていなければ、弁護人が主張する事実関係を排斥することはできません。

6 最終的な判断対象
その上で、岡口さんの行為が、本当に、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」といえるのか を考えて頂くことになります。
最終的にご判断いただくのは、訴追委員会が冒頭陳述で争点として述べた
「一連の行為が被害者遺族の感情を傷つけ、訴訟当事者の社会的評価を不当におとしめるものであったのか」では、ありません。
たとえ、被害者遺族の感情を傷つけ、訴訟当事者の社会的評価を不当におとしめるものであっても、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」にあたらない、ということは十分にありうることです。

どういう場合に「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」といえるかということについては、これまでの過去の例や、弾劾制度の憲法上の位置づけを踏まえて考える必要があります。
この点については、憲法学者の山元教授のお話を聞いて頂くことになります。

そして、具体的言動が、この要件にあたるかどうかを判断するためには、岡口さんの認識、意図を考える必要があります。
その際には、最初にお話しした、①最高裁判所と岡口さんとの関係性、②SNSでのコミュニケーションの難しさ、そして、③岡口さんのコミュニケーション上の特性、を踏まえる必要があります。
最終的には、弾劾となったときの効果を踏まえて、岡口さんのしたことは、裁判官の身分のみならず、弁護士にもなれないという、「法曹としての身分を失わせる」という効果になるほどのものだったのか、ということを考えて頂く必要があります。

この点、岡口さんは、来年の4月が再任時期ですが、既に、最高裁判所に、再任を希望しない旨の書面を提出しています。そのため、岡口さんは、いずれにしても、4月には裁判官ではなくなります。
岡口さんの言動は、それに加えてさらに、弁護士にもなれない、法曹資格まで失わせるほどのものと言えるでしょうか。
弁護人としては、岡口さんの言動は、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」にまでは至っていない、と考えています。
以 上